タブラ・ラーサ
人は白紙状態(タブラ・ラーサ)で生まれてくるとアリストテレスは言った。
はじめは何も知らず、経験を通し様々な感覚を得ていくのだそうだ。
要するに、サラのキャンバスに、絵の具を塗りたくり一枚の絵画を描くようなもの。
上の例えは、わかりやすく人間を表すことができると思う。
絵画では、繊細な筆で写実的に描く人もあれば、点描による一見不可思議なものを描く人もいる。
人生もまあ、そんなものなんじゃないかと言いたいわけで、選ぶ筆も、描くものも人それぞれである。
現代アートの価値をめぐる話題を目にすることがある。
なぜあのような空疎で、無機質な、情緒的でない造形物に高値がつくのかというはなしである。
多くの人が価値を見出していないような印象を受ける作品が、想像もつかぬ価値が与えらるのを見ると、何かを品隲するにも主観一辺倒では無意味だと気づく。
空疎なのは自分の審美眼の方であった。
ああ、彼のキャンバスはやはり価値あるものにも見られるのか。
局所的な価値でも、クローズな高評価なら幸せではないか。
世界は彼の目に現れるものなのだから。
造形の完成はいつだろうか。
死のみが点睛を許される。
そうか、人の価値は死して決まる。