悲愴と坂道
チャイコフスキーの悲愴の統一主題のひとつが、各楽章終盤にあらわれる下降音形である。
表題もとづき負の感情に揺られて絶望へ落ちて行くのか、それとも情熱という意味でのパテティチェスカヤととれば、慰めと優しさで高ぶる気分がおちついていっているのか。
どちらにせよ、曲を締めるうえで効果的な役割をしている。
この下降音形をきいて思い出したなぞなぞがある。
「東京には、上り坂と下り坂のどちらが多いか」
というものである。
下りつながりで。
このなぞなぞの巧妙なところは、エリアを東京に限定して特殊性を感じさせている点であり、つい、東京の地理や何やらを考えさせる。
もちろん「東京」の部分がパリやローマや、果ては御殿場なんかでも構わないが。
答えは「どちらも同じ」なわけで、われわれがいかに主観にとらわれ認知をしているかを気づかされるものとなっている。
たしかに、上り坂をのぼりきり折り返したらそれは下り坂となる。
なんとかこれを論駁できないかと莫迦なとこを試みたりもする。
人が、道を下ることができなくなれば下り坂という概念もなくなり、あるいは…?