あああーっす

すんごいことを書く。

東北探訪3

〜連続ドキュメント・東北のくらし〜

②坂の町の夕食時

坂の町とよばれる場所は、日本にいくつくらいあるのだろう。よく言われるのは長崎、また尾道もそうあだ名される。伊香保といえば北関東を代表する温泉地で、階段街とよばれる構造をした街である。特筆してそうよばれてなくとも、ニュータウン或いはベッドタウンといった地域では、マンションが斜面を埋め尽くしている。そう考えると日本中あちらこちらに坂の町があるのではないか。土地の狭いが為である。

友人くらす仙台もまたそうであった。バスを降りたところは、坂道のはじまる場所であった。それはそれは急な坂で、友人は「逆ピラミッド」と形容していた。その所以をきくと、ピラミッドには崩壊の危険をふせぐために、傾斜の途中から斜度を緩やかにしているものがあるが、この坂はそれとは反対に、途中から斜度が急になっているのだという。なるほど登ってみると途中からクッと上に反るような道であった。老後の人生が心配になる坂である。

友人宅は坂の途中にあった。アパートぐらしで、彼の部屋は道から一番近い一階一号室であった。私はそこを一等地と名付けた。リビングに通されると、整頓された部屋におどろいた。おおよそ大学生の独り暮らしというのは、寝転がるスペースこそあるものの小物や書類などがそこいらでたむろし、不要なものをすみへ寄せ集めたりしているものである。しかし彼の部屋はよく片付けられ、要らぬものが目につかないふうになっていた。女性の言う、「おんなのこの部屋よりキレイ」状態だ。

さて、はるばる京都から東北へきた目的のひとつに、彼の作る料理をいただくというものがあった。日頃より彼の更新するSNS記事には、見るだけでも美味しそうな手料理の数々がならんでいる。彼は同輩や遠方からの友人などをもてなすべく、このような品々をふるまうのだという。そういえば中学生の時分に彼の家に遊びに行った際、たまご料理をご馳走になった。そのような頃から台所へむかえば、修行の期間は充分にあっただろう。

完成までの間、私は勧められるままに彼の描いた舞台作品のDVDを見ることとなった。その作品とは、彼の所属する団体の合宿で開かれる余興のためのもので、物語の中にいくつかのコントを織り交ぜられた、上演時間120分にも及ぶ戯曲であった。幼い頃よりそういった発表会向けの台本を書く経験があったらしく、小学校での学芸会などで披露をしていたのだそうだ。物語は、とある色男とその彼女と、彼らに振り回される周囲の人間たちを描いたものである。随所に作者のウィットの効いた台詞があり、さらに内輪ネタが作品を彩っていた(普遍性を持つ内輪ネタだったので楽しめた)。

終演後、待ちに待った晩餐の用意が出来た。今回いただいた料理は、牛肉を仕込んでソースをかけたものと野菜、焼いたパンとゆで卵の乗ったサラダと、ジャガイモのペーストであった。それからライスも。なぜこんなにも見たままを書くかというと、友人に説明を求めたところ後でSNSに詳細を書くからと断られたからである。料理は食べてこその料理だ。百聞は一色に如かず。ええいままよと食らいついた。それはそれは美味しいかった。美味しさが薄れてしまうので、稚拙な文章ではとても説明ができない。写真を代わりとする。

食後に市販のデザートを食べ京都伏見の酒を交わしながら、法学や宗教の話に興じつつ、東北最後の冬の夜を愉しんだ。
f:id:dan0714:20150402001759j:plain

続く。

東北探訪2

どこへ行くにも動物は基本的な生活から逃れられない。腹が空いたら食べるし、食べるためには買い物をする。どんなに観光地をめぐろうと、これだけは避けることができない。ならば逆に生活に特化しようと、今回の旅行では目的地に観光地を設定しないことにした。

〜連続ドキュメント・南東北のくらし〜
①仙台駅近辺でお買い物
サイゼリヤを出た我々は、友人の一人(以下A)の買い物に付き合うべく、ビルに入った書店に寄った。特に探している本のない私と友人(以下B)は、それぞれの興味ある分野の棚の近くをうろうろとしていた。ありがたいことに通路には休憩用の椅子が置かれており、そこで読書をすることができた。私が読んでいたのは自前の本だが、他にも同じように座って読書をしている人が幾人かおり、もしかすると彼らは店の本を読んでいたのかもしれない。もうひとり用事のないはずのBは、ブラームス交響曲のポケットスコアを購入していた。裏切られた気分だ。
次に向かったのは、大手生活雑貨チェーン店である。Aは、翌日に控えたサークルの送別会で先輩に贈るプレゼント、また自宅用のグラスを探すとのことであった。熟考の末、プレゼントは他店で買うことになった。グラスはというと、上階にある別店で、透いた深青のものを見つけ、「古代の王族感がいい」という訳でそれを選んだ。水銀でも飲むのだろうか。
Aは料理家である。今回の東北旅行の目的のひとつが、Aの料理を頂くことであった。相当凝ったものを作るらしく、それに見合う食材探しがはじまった。ビーツ(赤蕪)を求め、結局二日間何軒かの食料品店を奔走した。この日は店員に試飲のカフェ・オ・レを貰い、本来必要のないものを選んでまわった。私は肴にカチョカヴァッロを買った。カチョカヴァッロとは、チーズの一種で、カチョはチーズ、カヴァッロは馬の意である。口の部分を絞った袋の様な状態で作られ、その様子が馬に乗せた荷物に似ていることからそう名付けられた。非常に弾力のある食感が特徴で、日本人好みとも言えるだろう。焦げ目がつく程度の加熱調理をして食べるのがポピュラーだが、とろけるチーズを加熱調理しても同様の味・風味は味わえる。
この後、もう数件めぐり、市バスに乗って彼の家へたどり着いた。
f:id:dan0714:20150329171128j:plain

つづく

冬に逆戻り、東北探訪

身が震える寒さが引きはじめ、近ごろ京都ではあたたかな日が続き、すぐそこに迫る春を感じるようになった。三寒四温である。纏ったコートを脱ぐこともしばしばあった。
そんな春の兆しから逃げるように私は東北へむかった。
旅の目的は、旧友と会うことである。互いに地元を離れており、長期連休をのぞいてはなかなか会う機会がない。その連休ですら、各人の都合で帰省期間があわずに、全く食事をすることもかなわない時がある。さみしいものだ。今年の冬休みがまさにそれで、短い休暇で予定が合わずに、皆各地方へもどってしまった。
そこでこの春休み、予てより計画をしていた東北探訪を実行するに至った。地元を離れた後も定期的に交流のある友人の二人が仙台にある大学に通っている。度々、私はほとんど冗談で二人に会いに東北へいくと言っていた。二人も冗談としてきいていた。まさか実現するとは。

鉄道好きにとって長距離旅行の足は、決まって夜行列車である。夜行列車は移動する宿泊施設であり、睡眠をとりつつ目的地へ近づくことができる、大変便利でお得な乗り物だ。かつては各地へむかう寝台列車が、毎夜旅人の夢を乗せて走っていたものだが、効率化の時代の波に溺れ、今ではすっかりその姿を消してしまった。
残った列車の中に、ムーンライトながらというものがある。東京から岐阜県大垣市を運行する、夜行列車である。ながら号の種別は快速列車であり、500円ほどの指定券を持っていれば青春18きっぷでも利用ができる。これが鉄道ファンには大人気で、春夏冬の休暇時期になると毎日満員となる。夏冬には幕張を目指す集団も見られる。
それが今回は、どういうわけか年配の方が多く見られた。老老介護列車である。窓際を指定された私のとなりにも老人が座っていた。老人は席につくなり持ち運びの枕を首にあて、アイマスクをして寝はじめた。これでは夜中トイレにいけない。老人はなぜかよくどこかへ消えたが、いつ戻ってくるかもわからないので、私が席を立つことはなかった。終着駅まであと数分というところで、老人はいなくなった。
東京駅からは東北本線を北上する。関東以上は冬の空である。雲はちぎれ、風はかわいていた。とちゅう、雪が降っていることもあった。仙台におりると、寒さと大風に迎えられた。仙台はまだ冬だった。
駅で友人と再会した私は、駅前サイゼリヤで昼食を取った。牛タン定食1600円の店は、学生には高嶺の花である。しかし、結局サイゼリヤで1500円分の豪華な食事をとることとなってしまった。f:id:dan0714:20150325103226j:plain


続く

発達課題:初期青年期 〜左遷対私立〜

青年期の発達課題はいわゆるアイデンティティの確立となっている。
親に擁護されていた今までの自分から、自立・離巣へむかうための重要なプロセスである。
その中でも特に、進学校で成績が低迷がちの人間に的を絞ると、表題のような課題が提示される。

進学校を謳う以上、学校は以下に上位偏差値の大学へ生徒を輩出するかをかんがえる。
低偏差値校へ生徒がいこうものなら、それはもはや輩出ではなく排出と見做されるだろう。
不名誉なことだ。

進学校が恐れるのは、ある程度の境界線より下位の私立大学へ生徒がいくことだ。
教員はこう考える、すなわち私立大学よりも地方公立校であれ。
首都圏の私立大学よりも、故郷を離れた地方の学校を推してくるのである。
もし生徒自身が望む地方とは違う場所が提案されたらどうなるのか。

こんな話がある。
ある生徒はA地方の私立大学へいきたかった。
しかし先生はB地方の公立校を推してきた。
生徒はどうしてもA地方へいくと言うと、先生はこう言った。
「君は学校に恩を感じないのか」

またこういう話もある。
先生はC地方の公立校へ行けと言った。
生徒は、絶対に行かないと言いその大学を受験し、合格した。
生徒は別の私立大学へいった。

この二例は、生徒の課題達成の例である。
また同時に、名ばかりを求める進学校の姿勢を表してもいる。
このようにして、学歴社会の排他性は差別的である。


日記をみつけた

本棚を眺めていたら、マイブックという本をみつけた。マイブックは新潮社が発売している文庫サイズの日記帳で、各ページには日付が小さく書かれている。ほぼ白紙なので、自分の好きなようにレイアウトができる。新しいことをはじめるのが好きな去年の私は、安易に買ってしまった。
日記は1月1日からはじまっている。一週間程は順調に進んでいるが、次第に後日記入したという報告が書き込まれるようになる。それでもなんとか続いているが、ついに二月頭から書き込みがなくなった。
続かないのが趣味のような男だから、いつものことである。ブログも途絶えていたし。
続かないといえば、最近記憶がなくなることが増えた気がしたので、MRI検査を受けた。脳には異常がみられなかったが、鼻の奥が炎症を起こしていることがわかった。一難去ってまた一難とはこのことである。
鼻炎持ちだとは自覚していたが、検査をして改めてそうなのだとわかった。治療したいなぁ。

2014.1.1

最近、鐘を撞いて年を越すことが増えた。爺様がボケてしまってから、父親が寺の仕事をし、年越しの儀式もそうなっている。この以前の父の役は鐘撞きであったが、撞球式に私にその役が回ってきた。冬の夜に頭を冷やし、百八の鐘をならしても、煩悩は消えない。

朝の目覚め

めずらしく朝に起きた。
秋めく中、肌寒さに震えた。
こんな時間に目が覚めることは久しぶりなので、空の輝きに感動した。
財布を見ると300円しかない。
コンビニで1リットルのお茶を買う。
こんなに必要ないと飲んでから気づく。
でも、ポンタポイントが20ポイントもつくから得した。
電車にのり、バッハをきく。
さわやか。
癒しとさわやかさでバロック音楽の上をいくものはないのでは。
秋の朝はバロック音楽で。